安曇野市議会 2022-03-02 03月02日-03号
豊科インター等の中央道より国営公園等への最短の距離であり、また、須砂渡マウンテンバイクコースの啼鳥山荘への近道で交通量が多いところです。また、ここは、小・中・保育所等の通学路であります。 そこで、ここの歩道整備について、大変急がなければならないと思うのですが、歩道整備の考えと現在の進捗状況並びにいつから工事に入るか、工事計画、完成予定について、都市建設部長に伺います。
豊科インター等の中央道より国営公園等への最短の距離であり、また、須砂渡マウンテンバイクコースの啼鳥山荘への近道で交通量が多いところです。また、ここは、小・中・保育所等の通学路であります。 そこで、ここの歩道整備について、大変急がなければならないと思うのですが、歩道整備の考えと現在の進捗状況並びにいつから工事に入るか、工事計画、完成予定について、都市建設部長に伺います。
また、豊科インターから安曇野インターへの名称変更、テレワークセンターの開設、あづみ野産業団地の拡張など、様々な産業振興と雇用対策により、自主財源の確保、旧5町村の一体感づくりと地域活性化に取り組んでまいりました。
3日に行われました平林明議員、小松芳樹議員の一般質問で、市長時代の成果の答弁の中で、市長は豊科インターから安曇野インターへの名称変更を取り上げておりました。この名称変更につきましては、私も1期目のときから一般質問を行いまして、複数回の一般質問から市長が取り上げてくださいまして、事業化に向けて行動をしていただいたということであります。
豊科出身の区長さん方からは、安曇野・豊科インターにして豊科を残せというようなお話もございましたが、安曇野を分かりやすく全国に発信をするには、豊科は残さずに安曇野インターで統一をしたらどうだというお話をさせていただいたところでございます。 そんなことで、できる限り一体感を含めて、5町村の融和をどう図るかという思いで取り組んでまいりました。
合併して初めての定例会、平成17年12月7日開会の21日の一般質問で、私は豊科インターを安曇野インターに、明科駅を東安曇野駅に名称変更したらどうかと提案をいたしました。平成19年12月定例会では、具体的なインター名称変更の方法を提案をし、前向きな答弁をいただき、前平林市長に種をまいていただきました。そして、平成24年10月7日には、宮澤市長により安曇野インターに名称変更が実現をされました。
旧豊科町の皆さん方からは、安曇野豊科インターで「豊科」を入れろというような意見も、区長会の一部の皆さんからはいただいたところでございますけれども、これらについても御理解をいただいてまいりました。 また、信州安曇野ハーフマラソン、田んぼアートの開催であるとか、安曇野しゃくなげの湯の整備、山岳観光の推進に取り組んできたところでございます。
田中県政時代にこれは断念せざるを得なくなって、村井県政になって豊科インターからというような話も一時ございました。 そんな中で、私は既に山麓線を通って工事が始まっている、あるいはもう終了してもいいような時間が経過をしてしまったという思いがございます。田中県政のときには南安曇郡でございました。西の山麓線から東筑摩郡であった東の明科町、全く地形の違う場所に移ってしまったという経過がございます。
例えば豊科インターを安曇野インターに名称変更するときも、地元の区長さん方からは、安曇野、豊科を残せというような意見も出ました。地名等に対するあるいは駅名等に対する愛着、歴史もございますので、慎重の上にも慎重に対応すべき課題であるというように私は捉えておりまして、当面、変更をするというような考え方は持っておりません。
この松糸道路の経緯につきましては、既に皆様御存じのとおり、平成6年に市町村合併前の波田町から新潟県糸魚川市までの約100キロメートルが候補路線として指定を受けましたが、平成15年に、当時の長野県知事によって松糸道路の起点を、当時の波田町から長野道豊科インター付近にすることに変更をされました。
そして、なお、安曇野市を一つにするために市民スポーツ大会を開催したり、あるいはハーフマラソンを開催し、また商工会青年部が安曇野は一つということで花火大会等も開催をさせていただいているということでございまして、あらゆる面で例えば豊科インターを安曇野インターに名称変更をさせていただいたのも安曇野市は一つという方向に沿った施策でございますので、これらもあわせて、より安曇野市になってよかったと思われるまちづくりを
豊科インター、安曇野インター周辺の開発の質問でございますが、この課題は、さかのぼれば旧豊科町時代、豊科インター周辺の開発まで、もう何年も前にさかのぼる課題でもございます。
また、インターチェンジの名称変更については、地元の皆さん方からは、変更するんだったら安曇野豊科インターで豊科を残してほしいというような要望もございましたが、豊科インターを安曇野インターに改めさせていただきまして、安曇野を全国に発信をするといったソフト事業にも重点的に取り組んでまいったところでございます。
安曇野市は1億9,000万円を使い、豊科インターの名称を安曇野インターに改名しました。将来にわたって大きな経済効果をもたらす、まさに生きた予算だと私は考えております。地方創生は、勝ち目のある計画でなくては意味をなしません。動員を考えるだけだったら、ディズニーや石原プロを呼んだりAKBを呼んだほうが手っ取り早いかもしれませんが、一発花火です。
さらに、豊科インターを安曇野インターに名称変更をさせていただきました。これも安曇野市を全国に発信をしながら、市の一体感をつくるための施策の一つでもございます。ハード、ソフトそれぞれの面で一体感腐心に邁進をしてきた、こんな今日までの課題でございます。
長野自動車道豊科インターが安曇野インターに名称が変わり、安曇野インターチェンジへの名称変更による経済効果は10億4,000万円と推計され話題となりました。 千曲市では、合併後11年も経過しましたが、いまだ、更埴インター及びジャンクションの名称が千曲へ変更に至っておりません。千曲市の玄関口であるインター等の名称をこのまま放置することは、千曲市の将来にとって不利益であると思います。
豊科インターを安曇野インターに変更するときも、一部の皆さん方から強い意見がございまして、豊科をなぜ消すんだと、安曇野豊科インターにしろというような意見もございました。
市長は、豊科インターを安曇野インターに最小の費用で名称変更したという実績もおありでございますので、この点は市長にお伺いをしたいと思います。 ○議長(宮下明博) 市長。
その後、平成15年に、当時の田中知事が、現道活用ルート及び起点を波田から豊科インター付近へ変更、これを表明いたしました。また、平成18年には、村井前知事が、起点や計画ルートを含めた整備のあり方については、地域の意見を聞きながら時間をかけて検討していくと表明をしたところでございます。
一昨年、10月7日長野自動車の豊科インターが安曇野インターに名称が変わり話題となりました。千曲市においても更埴インター及びジャンクションの名称変更については、交通政策特別委員会で取り上げられている課題です。 私も昨年3月議会、一般質問におきまして更埴インター及びジャンクションの名称変更について取り上げさせていただきました。
さきに通告しました2件のうち、主要地方道豊科インター堀金線、田多井から田尻地区の歩道整備について質問をさせていただきます。 主要地方道豊科インター堀金線、田多井から田尻地区の歩道については、旧堀金村時代の平成10年ころから住民の懸案の願いであり、県並びに関係機関等に陳情し工事をしてまいりました。